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許されざる者

Posunforgiven92

製作:1992年
監督:クリント・イーストウッド
撮影:ジャック・N・グリーン
音楽:レニー・ニーハウス
出演:クリント・イーストウッド、ジーン・ハックマン、モーガン・フリーマン、リチャード・ハリス

開拓時代の一切を美化せずに、それでも「西部劇」として成立させるにはどうしたらいいか、イーストウッドの長年のもくろみは、ここに一定の結実を見る。「外国製」でもなく、幽霊ガンマンでもなく、奇をてらわず、説教くさくも言い訳がましくもならず、「西部劇」のほぼすべての要素をはらんだうえで、血の通った人間たちの物語として、彼はついにこの作品を撮り上げた。たいしたものだと思う。

酔った勢いで「女もこどもも動くものはすべて」片っ端から撃ち殺したかつての無法者は、女房に先立たれ、こどもを抱え、年老いた貧しい農夫として厳しい現実にさいなまれる。ガンマンに憧れる未熟な若者、インディアン女と所帯を持った(あるいは持たざるを得なかった)黒人の元相棒、「植民地」の人間を侮蔑しながらも、そこに堕ちてそこで暮らさざるを得なくなったイギリス人賞金稼ぎ、その彼をただただ暴力によって排除する法の番人、無知・無学ゆえに娼婦を切り刻んだカウボーイ、彼らの仲間の精一杯の謝罪も受け入れない強情で愚かな娼婦達、小便を漏らしながら大げさな伝説を追い続けるジャーナリスト… 彼らのような人間達もこの国の礎の一部なのさ。

イーストウッドの画面作りと演出は、CGに頼らず、カメラもほとんど動かさず、マカロニや黒沢作品のような派手な誇張も排除した、ひたすら禁欲的なもので、それが西部の風物を、むしろ美しく研ぎ澄ます。そしてそれらすべてが最後の暗闇の殺戮シーンへと劇的に高まってゆく様は、私の心を素手でつかんだ。

最後の最後に、主人公が姿を消した後に、「何であんな優しい娘が、こんな無法者を愛したのだろう?」というクラウディアの母親の疑問を提示することで、イーストウッドは、もはや西部劇がすっかり廃ったこのご時世に、彼自身も含めた世界中の多くの西部劇ファン達と、静かに肩を組もうとしたのかも知れない。

44-40 [2004年12月26日 15時57分54秒]

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コメント

 イーストウッド監督、主演作品で特に好きなのは、「アウトロー」とこの作品です。一応初老のスーパーヒーローが主人公ではありますが、派手なガンプレーのアクション映画ではない。登場人物は結構な数いますが、それぞれが事情を抱えており、完全な善人、完全な悪人はいない。(このへんは2004年12月26日の44-40様の投稿が詳しい)。否、暴力保安官だけが完全な悪人か。
 一人では何もできない。複数の手下に相手の武器を奪わせ、丸腰にさせてから暴力に訴える。相手をなぶり殺しにしてから、ジャーナリストの前で決闘しようとする。最低ですよね。ハックマンはしばしばイーストウッド作品に悪役で登場しますが、このような憎たらしい役柄は適任ですね。
 シンボルが小さいことをなじられ娼婦の顔を傷つけた無知なカウボーイ。刑罰こそ受けないが、保安官の斡旋により充分ではないものの、一応損害賠償はしている。(ただし被害者に対してではなく主に娼婦館の主に対してではあるが?)罪を償ったわけではないが、殺されるまでの理由はない。生活苦のため仕方なくガンマンに復帰した農夫。仲間を必死に守ろうとする牧童達。
 腹を撃たれ、今正に死のうとする仲間に、ライフルで撃たれるかもしれない恐怖にさらされながら水を与える牧童の姿
を賞金を出した娼婦達はどう思うだろう。
 無防備で大きな用事をしているところを襲い、初めて人を殺した恐怖におののく若造。一人ひとりの生きざまが心に染みる(感動したという意味ではない)映画です。

投稿: marineflat | 2010年5月31日 (月) 02時04分

投稿: marineflat | 2010年11月 7日 (日) 19時09分

付け加えるなら

神は「汝、殺すなかれ」と言った。

そして、イーストウッドは間違いなく
「撃つ男」である。

という事です

神は俺を許さないか?

そういうタイトルなのだと
私は思います。

ヤマザキ [2009年2月20日 4時7分37秒]

投稿: ヤマザキ | 2010年11月 7日 (日) 19時08分

この映画は、主人公が「許される」までを描いた物語ではないのでしょうか。

私はこの映画を観終わったとき、主人公は「許された」と感じました。

この映画は、立ち向かう、物語です。

物語の序盤からラスト近くまで…痛み、苦しみ、、まやかし、迷い、臆病、老い、社会的な正義、良心、悲しみ…そういったものでスクリーンが埋め尽くされます。

しかし、ラストは酒場でのあの戦いです。

それでも、撃つんだよ、と…

圧倒的な暴力を余す所無く発揮します。

それでも殺るんだよ!

昔、見境なく人を殺し、愛を知り、それを失い。痛みと悲しみを知った男が、撃つべきものを知り、撃つ。あらゆるものを乗り越え、いや、全て知りながら、撃つ。

そうして主人公は始めて「許された」…と

それを、亡き妻は解っていた。主人公は、必ず、そういう男であると。

これは男の物語です。

ヤマザキ [2009年2月20日 3時43分41秒]

投稿: ヤマザキ | 2010年11月 7日 (日) 19時07分

イーストウッドがアメリカに帰ってからの西部劇には皆さん余り興味がないんでしょうか、概して書き込みが少ないですよね。私は、彼の西部劇に対する特別な思い入れが大好きなんです。

この映画は公開前から大変な評判でしたからね。確か、タイトルも最終的に「許されざる者」に決定するまでにいろいろ経緯があったように記憶してます。J・ヒューストンの同名西部劇があるからでしょうが、あちらの「Theunforgiven」に対して、こちらは「unforgiven」と定冠詞を取ったところがミソ。許されない者は特定の人物ではないと云うことですね。

シネコンの時代になってから、飲み食いおしゃべりを2時間ガマン出来ないヤング達にそれこそガマン出来なくて「どうせ昔のような大画面じゃないし」と映画は専らDVDで観ることにしていましたがイーストウッドに敬意を評して久々に映画館に行きました。しかし内容については殆ど予備知識をもっていなかったので、イーストウッドのベストは「アウトロー」だと思っている私には、映画自体の並々ならぬ迫真力にも拘らず、恥ずかしながらいまいちピンときませんでした。キッドに向かって云うイーストウッドの「殺人とは残酷なものだ。その人の過去や未来すべてを奪ってしまう」と云う台詞が印象に残ったのと「何で出てくる奴が揃いも揃ってじいさんばっかりなんだ」と思ったくらいですから、後でテーマや製作経緯を知って我ながら自分の鑑賞眼の貧しさにガッカリしました。

その後ビデオを繰り返し繰り返し観てますが、この映画に託したイーストウッドの心情、人生の黄昏を迎えた男達の悲哀、そして消えていく西部劇への深い想いなどが段々分かってきて、観る度に新たな感銘を受けています。恐らく彼は今後西部劇を作らないつもりではないかと云う気がします。

ところで、ウィリアム・マニーと云う名前はウィリアム・ボニーをもじったものと思っていいんでしょうか。

ウエイン命 [2006年8月19日 7時33分21秒]

投稿: ウエイン命 | 2010年11月 7日 (日) 19時06分

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