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捜索者

原題:The Searchers
監督:ジョン・フォード
出演:ジョン・ウェイン、ジェフリー・ハンター、ヴェラ・マイルズ、ワード・ボンド

ジョン・フォードの数ある名作の中で「荒野の決闘」や「駅馬車」が高い評価を得ているのは当然ですし、私自身もそれには全く異論はありません。しかし、作者の思いが込められているという意味ではこの「捜索者」と晩年の「シャイアン・オータム」が双璧ではないでしょうか。作者の思いが強いほど良い作品になるとは限りませんし、逆に、観る側にとっては重たく感じる事はよくあることです。

フォード自身も、この作品に愛着を持っていたと聞きますし、アメリカ国内では、この作品をフォードのベストワンにあげる人も多いと聞きます。作品の冒頭とラストの、ドアの向こうに見える、強烈な日差しの中の赤茶けたモニュメントバレーは、良くも悪くも、まさにフォードの世界なのです。



投稿:ワードボンド [2000年1月23日 18時26分21秒]

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コメント

ジョン フォードは音楽の扱いがどの映画でも見事ですね。

スタン ジョーンズの冒頭のテーマ曲そしてロレーナ、ナタリ

ーウッドを抱き上げて Lets go home Daby

なんとも脱帽の限りです。

ナターシャのワルツ(ニーノロータ)とロレーナと貴子のテー

マ(山本直純)聴きながら旅立てれば本望。

投稿: AY | 2012年4月20日 (金) 00時15分

J.W.さま。

「騎兵隊」、コンスタンス・タワーズのバックに流れる「ロレーナ」の件、なかなか書いていただける方がないので嬉しくおもいました。

「捜索者」、エドワーズ家の葬式もそこそこ、イーサンたちとレインジャースは先住民捜索に出ます。沼を越え、砂漠へ。遂にナイヤキ・コマンチの戦闘部隊と遭遇します。左右から囲まれたイーサンたち、レインジャーズの隊長クレイトンは川辺までの疾走を命じます。

この時、ワード・ボンド扮するクレイトンはシルク・ハットが飛ばないようにスカーフで括り付けますね。これこそ、「3悪人」でフランク・キャンポーが演じたスペード・アレンの再演でしたね。スペードも馬を疾走させるとき、帽子をスカーフで括り付けておりました。

投稿: ママデューク | 2011年9月24日 (土) 16時36分

1956年の8月に日本公開の「捜索者」は、フォード61歳、ウェイン48歳という最盛期の作品であり、同時に西部劇らしい西部劇の存在が許された時代の最後の名作として位置づけられよう。

この作品の素晴らしさは、他のメンバーが書き尽くすでしょうから、私は長年のフォード・ファンの一員としてフォード・タッチと言われる彼独特の表現(悪く言えばマンネリですが、これこそファンを惹きつけて止まないものともいえる)を思いつくまま列記しよう。
勿論、この映画のテクニカラー・ヴィスタヴィジョンによる見事な映像美、マックス・スタイナーの民謡を取り入れた音楽、フォード一家のそれぞれベストともいえる演技に素直に感動すればそれで良いのですが、その他にこんな事もあったなーとニヤリとする手助けになれば幸い。

○冒頭とラストの有名なシーン、家の中にカメラを据え、戸口から明るい空を写す場面が、サイレントの 「誉の名手」に既に有ったという。また、「捜索者」中でコマンチに追われてイーサン達が洞窟に隠れた時も同様なショットがあったし、騎兵隊3部作でも、砦を出入りするシーン等、二つの世界の境界という感覚でしょう。

○ウェインの折返しのあるジーンズと胸当て付きシャツというスタイルは、「駅馬車」以来でニヤリとさせます。
 実はこのスタイルは、ハリー・ケリーのオリジナルのようで、オールドファンは更に喜んだのでしょう。
 例の片手をもう一方の腕に添えるポーズもハリー・ケリーに捧げる意味であって、オリーブ・ケリーはこれを見て涙したとか。
○最初にマーサがイーサンを出迎えるシーンに流れる「ロレーナ」は南北戦争時の流行ったラブ・バラードであり、二人の恋愛感情をシンボライズしている。後年の「騎兵隊」でもこの曲は使われていました。「若き日のリンカーン」といい、フォードは実は、ラブ・バラードを活用する名手なのだ。

○マーティンの登場するショットは、戸口まで馬を駆けて来て、さっと下馬、そのまま家の中へという、スピーディで切れ味良いものでしたが、これも、サイレント時代のフート・ギブスンの時と同じだという指摘がありました。(私は勿論未見ですが)騎兵隊3部作でのベン・ジョンソン等の乗馬シーンでもその呼吸は良くわかりますね。

○奇声を発する変人の登場。「捜索者」ではハンク・ワーデンが演じていますが,彼は、「リオ・グランデの砦や「幌馬車」でも同じような役ではなかったかな。「駅馬車」のアンディや「太陽は光り輝く」での召使役など、あるいはジャック・フォードの奇人振りが想い起こされます。

○肝腎の対決シーンを見せないで。観客の塑像力に訴える手法も、御多聞に漏れず「捜索者」では、スカーがマーティンに撃たれる場面にあります。これも「駅馬車」の決闘シーン、あるいは「荒野の決闘」でアープがインディアンを取り押さえるシーン等数多くある。
○対決シーンといえば、マーティンと恋敵(ケン・カーティス)の殴り合いは、正に「リオ・グランデの砦」でクロード・ジャーマン・Jrが仲間の前で行っていた雰囲気のままです。

○イーサンが酒場の暖炉に強い酒(テキーラ?)を投げ捨てると、炎が上がるところも印象に残る場面。ウェインは怒り狂うと良く物を投げます。後年の「騎兵隊」「リバティ・バランス」など・・・。

○イーサンが夜、寂しく戸外のポーチに座っていると犬がやってくる。犬とフォードというと「黄色いリボン」での兵隊の前でクインキャノン軍曹がアイリッシュ犬は良いぞと頭を撫でているシーンもありました。「タバコ・ロード」のラストシーンも思い出されます。
等など切が無いのでこの辺で止めますが、とにかく映画を長い間見続けると、この種の記憶が蓄積されて、より映画を楽しめるのであり、私はフォード映画を見続ける事が出来て幸福です。まだフォード映画の魅力を知らない若い映画ファンの人たちにはぜひ、手に入る限りのビデオDVDを見てほしいと思います。本当は劇場大画面であることが理想ですが、それはフィルムセンターなどで特集公開してくれないとかなわない夢でしょう。

投稿: J.W. | 2011年9月21日 (水) 19時02分

先頃、BSで放映されていたAFIのジャンル別トップ10の「西部劇」で第1位に選ばれたのがこの作品。端正でいて荘厳な映像美をたたえたこの映画こそNO.1に相応しい。

しかしこの映画を語るのに常に付いて廻るのが、主人公のイーサン・エドワーズの性格、「差別主義者」という言葉ですね。多くの「捜索者」評を読んでも、ただイーサンは先住民に対する差別主義者とだけしか書かれていない様に思うのですが。確かに白人の敵は先住民であるとして描くのは西部劇なので、理屈を言わず白人のイーサンにとって先住民は敵だからこれを憎むという構図になるのでしょう。
しかし、その憎悪の根源となるものは果たして何なのでしょう。私にはそれが永い間、理解できなかった。たとえば映画の冒頭、夜の食事の折にマーティン・ポーリィを見て先住民の血が入っていると忌み嫌います。このイーサンの先住民に対する憎しみはどこから来るのか、私にはよく判らなかった。
それが氷解したのが、他のBBSで「捜索者」を話あった時、クインキャノンさんのサゼッションにより、より明確に判明しました。それはスカーのエドワーズ家の襲撃のとき、デビーを両親は墓場に逃がします。そのデビーが蹲る背の墓標はイーサンの母親のもので、そこにはこう書かれているのです。

here lies
mary jane edwars
killed by
comanches
may 12 1852
a good wife and mother
in her 41st year

つまり、イーサンはエドワーズ家に帰還する16年前、母親をコマンチに殺されていたのですね。そしてマーティンの両親もコマンチに殺された惨劇にも遭遇している訳ですね。これならイーサンの先住民憎しの心情をよく理解できました。さらにこの後、最愛のマーサをも失い怒りは頂点に達するわけです。

閑話休題。以前の投稿で「捜索者」はフォードとデュークでハリー・ケリーの面影を追い求めていると書きましたが、それはその通りだとおもいます。オリーブ・ゴールデンとジュニアを重要な役に配している。そしてもう1人も役者も忘れてはなりません。サンファン河の戦いで負傷するネスビー役のウィリアム・スティール、この人こそシャイアン・ハリーシリーズやサイレント期のハリー・ケリーと轡を並べたその人なのです。「三人の名付親」や「黄色いリボン」などは殆ど役名もセリフもないが「捜索者」では大役です。これもハリー・ケリーへのオマージュに他ならない。

それともう1つ、チャーリー・マコーリーの結婚式の場面。フォードのお気に入りのスタント・マンが顔を揃えます。両チャックはもとより、テリー・ウィルソン、フレッド・ケネディ、フランク・マクグラス、彼らはテキサス・レインジャーに扮しているわけですが、最後のワード・ボンドの尻の傷を手当する場面では、なんとマクグラスは騎兵隊のラッパ手に早代わりするのだ。そしてヘイワードはクリフ・ライオンズの手綱を引くこれも騎兵隊員になってしまう。明らかにミス・ショットだけど、やはりフォードにとってラッパ手はマクグラスでなくてはならなかったのでしょうね。


投稿: ママデューク 2010年5月20日 (木) 17時52分

投稿: ママデューク | 2010年6月16日 (水) 18時58分

ハリー・ケリー・Jrは、その自著で「捜索者」は特別な場所に位置するべき作品である、とかいている。私もこの作品は大好きなんです。フォードの晩年の映画は、殆どがメジャーの雇われであった為、ダン・フォードの言う様に精彩お欠いていますが、「捜索者」はインデペンデントなので力がはいっていますね。

巻頭より素晴らしいショットの連続です。ぬける様な青い空、たなびく白い雲、赤い大地。まさに、フォードの世界ですね。でもねリンゼイ・アンダーソンは警告するんですよ、この美しさに騙されてはいかんと。そしてイーサン・エドワーズはインディアンに対し、暴力的過ぎる。とか憎しみを強調するクロース・アップはフォード的でないとおっしゃる。しかし、この映画の原作は、アラン・ルメイだいインディアンが敵なのは当たり前だ。

フォード・ファンはこんな理屈っぽい事よりも、フォード・ウエインの西部劇を楽しもう、イーサンのスタイル、ブリムの広い帽子、前で結んだスカーフ、裾をおったジーンズ、そしてこの映画ではデュークはベストを着ないんだ。これはハリー・ケリーなんだね、フォードとデュークは二人してシャイアン・ハリーを作り上げているんだ。

それで最後のシーンでオりーブ・ケリーに仁義をきるんだ。ついでに言うとね。最初のドアとラストのドアのシンメトリー、この構成は、編集のジャック・マレーの手柄だとおもうんだ、フォードは大昔よりドア越しのショットが好きだったんだ、だから、こんなに、見事に仕上がったんで悔しくて、ヴォクダノヴィッチのインタヴューに何も答えていないじゃないのかな。

ママデューク [2008年2月17日 15時18分39秒]

投稿: ママデューク | 2010年6月16日 (水) 18時57分

杉本さんのご指摘通り確かに同じ所に見えますね。常連の諸兄なら具体的な場所や地名などもご存知かも知れません。

ところで、ついでに本欄を遡って読んでいたら、2000年に「COLKID」さんがW ・ボンドが見ているのに気付かずマーサがイーサンのコートに頬刷りをするシーンが二人の過去を示唆している、と云う意味のことを書かれてますね。勿論そうですが、その前に冒頭で既に示唆されてます。帰ってきたイーサンを一家で出迎えた後、急に音楽が変わってマーサがイーサンを誘うように家の中に向って後ずさりをしますね。あそこが最初に2人と云うか兄も含めて3人の過去を示唆した最初のシーンですよね。当時私はまだ中学生でしたが、マーサの顔が瞬時にして母親(または人妻)の顔から女の顔に変わるのを見て、俳優って凄いなーと感心すると同時に、あのワンカットだけで3人の間にあったことを観客に分からせてしまう映画の力はもっと凄いなーと思いましたね。そう云う新しい発見の積み重ねが私を映画少年にしたんだろうと改めて思いますが、今から思うと我ながら随分ませた子供ですヨネ。でも、このくらいの映画になると1回目なのか2回目なのかと云うことでそのシーンの持つ意味も全然違ってくるような気すらします。何か、心して観なければいけないような…。

それともう1つ「Yamakawa」さんに是非お聞きしたいのは、2002年の書込みに「かけだしのマクィーンを忘れないでください」とありますが、どういう意味なんでしょうか。まさかこの映画に彼が出ていると云う意味じゃないですよね。その後の諸兄の書込みでも何も触れられていないので気になります。ご本人がもうこのサイトを離れてらっしゃるなら、どなたか教えていただけませんか。

ウエイン命 [2006年10月7日 19時10分2秒]

投稿: ウエイン命 | 2010年6月16日 (水) 18時53分

コマンチとの初戦の河(ジョン・ウェインがライフルで狙い撃ちするシーン)・・・この河と、黄色いリボンの渡河作戦の河(ジョン・ウェインがコーヒル中尉を対岸に残すシーン)は、おそらく同じあたりだと思うのですが、いかがでしょうか。

また、この河もモニュメント・バレーにあるのでしょうか。コロラド河でしょうか??
(グランド・キャニオンあたり?)

1.この河で戦う前に両側からコマンチが現れる景観の良い場所、
2.ジョン・ウェインが、白いテンガロンハットで、ナイヤキコマンチ酋長に会いに行く砂漠で「馬のたてがみがとがった岩の連なり」・・・「マジソンカントリー・・・」と発声するシーンあたりの景色かな。モニュメント・バレーに行ったことはありませんが、どのあたりなんでしょう、地図が販売されていて、これらの場所が分かればぜひ訪れたいと思います。

モニュメント・バレー、オールドツーソンセット、ツームストンを中心にして、サンフンシスコあたりへでも寄って来るような、7日間くらいの西部劇マニアツアーがあるといいのになといつも思います。

杉本 [2006年8月22日 21時20分53秒]

投稿: 杉本 | 2010年6月16日 (水) 18時50分

「そんなコトくらい知ってらい!」と、まあ殆ど全員の方に云われるのを覚悟で、どなたもふれていらっしゃらないので敢えて書きます。ラストシーンでのあのウエインの、片手でもう一方の手の肘を抱えるポーズ、いいですよネ。

フォード新人監督時代の恩人と云うか盟友のハリーケリーのトレードマークだったと云うハナシを聞いたことがあります。

ウエイン命 [2006年3月27日 23時22分23秒]

投稿: ウエイン命 | 2010年6月16日 (水) 18時47分

 この映画が西部劇マイベスト1には個人的な思い出を含めて3つの要因があります。

 先ず1番目は見るまでの思い入れです。1956年4月1日、「今日からは映画は洋画を見る(当然西部劇も」と決心した8月の公開です。しかし、貧しい中学生にロードショウ(¥150位)を見る余裕はなく、近くの2番館、3番館迄待つのが普通でした。何故なら、場末なら2~3本立て¥55~¥70なのでロードショウ1本代で5~6本も見られるからです。近所へ来るまで私はあのジョン・ウェインとジェフリー・ハンターのポスターを自分で描いて壁に貼り、まだかまだかと待っていました。(映画雑誌も¥130位なので買わない)

 こういう状況下に見た私の西部劇バイブル「トルー・ストーリー、西部読物特集号」の「西部劇花形スタア名鑑・ジョン・ウェイン欄」には、鞍超しに遠くを見るウェインのアップに「想えば六年という歳月の永かりしことよ。あごひげにさえ白いものが見える。使命を果たしたイーサン・エドワーズは独り駒を返して夕陽の落ちる彼方へ去って行く--捜索者のラストシーンである」と紹介され、いやがうえにもイメージは膨らむばかりでした。(結局、翌年1月15日、「知りすぎた男」との2本立てで見た) この様に、見るまでに完全に洗脳されてしまっていた。

 次ぎにこの映画のJ・ウェインの徹底したインディアン憎悪と対インディアンスキルは自分の主義・主張に生き、妥協を許さないプロフェッショナル像につながり、私の憧れの人間像です。それは時には人に理解されず、他人を寄せ付けない(J・ハンターも)、普通人には辛い孤高の人です。プロフェッショナルは家庭を持てない、次なる目的を求めて去るのみです。ライダウェイ、ライダウェイ。

 映画によってJ・ウェインの帽子は変えられているが、この作品では黒く山が浅く、険しい眼光をよく生かしていました。

 単にこれだけでなく開拓者の家庭や近隣の人間関係がこの映画に深みを与えています。限られた付合いの中でも年頃の若者は思わず拍手を送りたくなる恋をしていました。(但しあんな荒地で何の開拓をしていたのでしょうか)

 このサイトでは評判が高いようですが、当時の映画評論家には「駅馬車」「荒野の決闘」「黄色いリボン」の続きで見たせいか殆ど評価されていませんでした。1960年「映画の友、西部劇読本」では「ヴェラクルス」「死の谷」に次いで20位です。(1位「荒野の決闘」)。主題歌も直後の「誇り高き男」、翌年の「ロンリーマン」「OK牧場-」のようにはヒットしませんでした。

 モニュメント、バレーを背景に遠望する騎乗の2人。英語のコピー「he had to find her(3回繰り返し、字が徐々に小さくなる」。ポスターもベスト1だと思います。

オーサカ老レンジャー [2003年5月17日 10時49分44秒]

投稿: オーサカ老レンジャー | 2010年6月16日 (水) 18時46分

yamakawa様

この映画は多分一番好きな西部劇です。

ライダウェイーーーーは確かマックス スタイナーではなく有名な騎兵隊のマーチを書いたスタン ジョーンズ氏だと記憶しています。もちろん全体の音楽を担当したのはマックス スタイナーです。冒頭に流れる曲は確か”ロレーヌ”というアメリカのトラディッショナルな曲です。

ともあれ素晴らしい映画ですね。

AKAAY1011 [2002年6月3日 17時30分57秒]

投稿: AKAAY1011 | 2010年6月16日 (水) 18時42分

なんと美しい映像!息を呑んでしまいます。最も好きな作品のひとつです。ただあまりにストレートな人種偏見は今の時代には受け入れられないのでしょうか。米国の「映画100選」に選出された唯一の西部劇、が救いです。公開当時、イーサンをつけて来た交易所の悪人を返り討ちにする場面で、「もし外していたら?」の問いに「思ってもみなかった」のイーサンの言に満席の場内がどっと沸きました。当時ジョン・ウィン=ガンマンが神格化されていました。それからかけだしのスチーブ・マックィーンを忘れないで下さい。何度みてもいいですね、特にラスト怒りも憎しみ消え年老いたイーサンがよろよろと旅立ちます、マックス・スタイナーの音楽にのせて・・・ライダウェイ~ライダウェイ~

Yamakawa [2002年5月29日 22時42分51秒]

投稿: Yamakawa | 2010年6月16日 (水) 18時40分

BSで観ました。
ジェフリー・ハンターやナタリー・ウッドが出ていたんですね。
昨日徹夜の勤務だったので、寝ぼけ眼でみていたので、イーサンとマーサの過去の出来事の示唆には全く気づきませんでした。
それから最後の方(デビーを助けるか、射殺するか)で、イーサンがハンターの母親について何か話していましたが、よく理解できませんでした。
西部劇の男は仕事を成し遂げた後、未練がましく残っていないで、サッと立ち去るところがいいですね。

[2002年5月29日 0時2分47秒]

投稿: marineflat | 2010年6月16日 (水) 18時38分

映画が好きになり、自分で自主映画を製作、業界をちょっとだけかじり、ずっと映像に関わって来て本当に良かったと思ったのが、この作品。この作品に出会えたことの幸せは言葉では言い表せない。ストーリーはもちろんだが、この作品の画面からあふれ出る詩情は何度見ても絶品の一言。

bun [2002年1月4日 10時31分11秒]

投稿: bun | 2010年6月16日 (水) 18時37分

イーサン・エドワーズは、単に憎悪に燃えて執拗にコマンチを追うだけの復習鬼ではないですね。その内に愛の不在を宿しつつ荒野をさすらう孤独な魂なんだと思います。

ラストで静かに去りゆくイーサンの後姿に、男のロマンを感じずにはいられませんでした。

whiteriver [2001年3月5日 23時50分26秒]

投稿: whiteriver | 2010年6月16日 (水) 18時36分

1月10日にNHKで放映された「地球に乾杯!ルート66」の中で、「捜索者」の1シーンが紹介されました。この番組の内容は、シカゴからロサンゼルスまで4000キロの「ルート66」を辿りながら、その歴史を振り返るというものでした。この中で「捜索者」は白人とインディアン(先住民と言わなきゃいけないのかな…)の対立と差別の象徴として紹介されていました。多くの雇用機会を創出し、インディアンにも尊敬されていたジョン・フォードがもし生きていたら、不本意な使われ方だと思うに違いないと思いながら見ました。

(P.S)
それにしても、酋長スカーはいつ見ても獰猛な顔してるな~。

ワード・ボンド [2001年1月12日 20時21分22秒]

投稿: ワード・ボンド | 2010年6月16日 (水) 18時34分

美しいモニュメント・バレーを背景に物語は展開します。ジョン・フオードはまさに西部劇の神様です。何方かも申していますが、どの作品が一番などと云われません。彼の作品群は全て良いと致しましょう。・・・・丘陵の尾根に立っているインデアンの一群、砂塵の中を落日に向かって遠ざかっていく騎影、西部劇のアクションは面白く見せても、西部のにおい、西部の風景と云ったものを本当につかんでいる監督は彼をおいて無いでしょう。ラストでデビーが逃げ込もうとした洞窟はハリウッドの近くにあり数多くの映画で使われたと、「ハリウッド西部劇100年」で解説しておりました。

グリーンベイ [2000年11月30日 0時44分0秒]

投稿: グリーンベイ | 2010年6月16日 (水) 18時32分

ワードボンドさんのおっしゃるように、この作品では、冒頭とラストでは暗い家の中にカメラがあり、画面中央の戸口が開け放たれており、戸外は明るく、家の中は暗いため、ワイド画面のまん中だけが人物の輪郭がわかるようになっています。まぶしい戸外の人物だけがわかり、家の中は黒に近く、物の輪郭がわかりません。ちょうど黒い額縁の中の絵のようでもあり、昔の映画のアイリス・イン、アイリス・アウトに近い効果がでています。ノスタルジックな感じを出す工夫ではないでしょうか。

終戦っ子 [2000年10月9日 21時17分1秒]

投稿: 終戦っ子 | 2010年6月16日 (水) 18時31分

捜索者は、ずっと昔にはじめて見た時から、心に引っかかっていて、その後も見るたびに好きになり、今ではシェーンと並んで、西部劇のワン・オブ・ベストだと思っています。

復讐の鬼と化したジョン・ウェインの鬼気せまる演技と重い主題にもかかわらず、ジェフリー・ハンターの結婚に関するエピソード等、やわらかい話を上手く取り混ぜ、全体にバランスのよい、見ごたえのある作品に仕上がっています。

最後にジョン・ウエイン演じるイーサン・エドワーズが、ナタリー・ウッド演じるデビーを抱き上げるシーンは、感動のあまり言葉を失います。

私が特にお気に入りのシーンは、イーサンの兄の家で、兄嫁のマーサがイーサンの服を隣の部屋でたたんでいるのを、ワード・ボンドがそ知らぬ顔で、無言で見ている場面です。

子供の頃観た時には、このシーンの持つ重要な意味に気付かず、なぜフォードはあの不思議な間を入れたのだろうと疑問に思っていました。その後、このシーンが、イーサンとマーサの過去の出来事を示唆している事に気付き、お気に入りのシーンとなりました。

その兄の家族が、その後すぐ惨殺されてしまうのですから、かなり強烈な内容ですね。この背後にある残酷さが、この作品のカルト的人気の要因のひとつではないでしょうか。

あれほどの仕事を成し遂げたイーサンがラストで家に入るのをためらい去っていくシーンなど、まさに男の中の男、女の中の女が名作には登場するものですね。

前編名場面に満ち溢れており、完成度のきわめて高い作品だと思います。その凄さに観客が気付くのに時間を要したのかもしれません。

[2000年9月10日 21時10分31秒]

投稿: COLKID | 2010年6月16日 (水) 18時29分

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