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ペイルライダー

公開:1985年WB
原題:PALE RIDER
監督:クリント・イーストウッド
出演:クリント・イーストウッド、マイケル・モリアーティ、キャリー・スノッドグレス、シドニー・ペニー、リチャード・キール

ほとんど人間の映画ではない。イーストウッドはこの作品で西部劇の魂ではなく、魂の西部劇に到達した。

投稿:鳴海昌平 2001年12月27日 3時36分31秒]

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コメント

この作品にしろ、「荒野のストレンジャー」にしろ最初に観たときは悩んだものです。幽霊なのか、それとも本当は死んでいなかったのか?。
プリチャーが最初に町に現れたシーンからして、いつの間にか音もなく移動していたりして、奇妙な感じは受けていました。
ストックバーンとの決闘の際、何故銃弾の抜ける背中側から撮影したのか、最初は分かりませんでした。
街並や背後の山の風景、「荒野のストレンジャー」とそっくりですね。

投稿: marineflat | 2010年5月29日 (土) 01時51分

「荒野のストレンジャー」は「真昼の決闘」の保安官がもし殺されていたら、と云うある脚本家の1行のメモから生まれたんだ、とイーストウッド自身が語っているそうです。ところが、その脚本家が書き上げてきた「ウィル・ケーンの弟が悪漢と町の人達に復讐にやって来る」と云うお話しが気に入らなかったイーストウッドはゴーストを主人公にした物語に焼き直したと云うことです(ちくま書房「クリント・イーストウッド」)。確かに、最初の方はいかにも定石的で面白みに欠けるきらいはありますが、後の方(映画のなった方ですが)は西部劇としてはいささか突飛に過ぎるような気がしますね。

製作順は逆ですが「奴等を高く吊るせ」は「44-40」さんの表現を拝借すれば、W・ウェルマンの「牛泥棒」の「返歌」で、「もしD・アンドリュースが誰かに助けられて蘇生していたら…」と云うことのようです。

して見ると、この「ペイルライダー」の「もし」は何でしょうか。「シェーン」の「何がどうだったら」と云うことになるんでしょうかね。単に「遥かなる山の彼方に去って行ったシェーンがもしまたどこかに現れたら…」と云うことだけでは他の2作と余りにコンセプトが違い過ぎるのでそうではないと思いますが、敢えて両者の違いを探して見ると、まずシェーンは初めて町に出かけたとき面倒を起こさないようにとの配慮からB・ジョンソンの挑発にグッと我慢をしますが、プリーチャーの方は、登場するや砂金取りの男にイチャモンをつけていたゴロツキをコテンパンにやっつけたり、大男の股間をハンマーでぶん殴ったり、ドラ息子の手の甲をぶち抜いたりとやりたい放題、我慢なんかしてません。また、シェーンとスターレットの妻とが互いに想いを寄せ合いながら遂に告白することなく淡い慕情に終わってしまったのに対して、プリーチャーは、娘の気持を知りながら母親の方とサッサと想いを遂げてしまいます。この躊躇なく物事をどんどん進めて云っちゃうところは「荒野の…」と共通してますね。もう1つ、ラストの決闘でシェーンが敵の策略にはまって肩を撃たれてしまった、いわば多勢に無勢のハンデを跳ね返せなかったのに対して、プリーチャーはシェーンより遥かに大勢の敵を相手に余裕綽々の戦いぶり、無傷で去って行きます。

要するに、随所に人間的なある種の弱みを覗かせていたシェーンが「もし感情に左右されないスーパーヒーローだったら…」と云うことカナーと思ったり、いやいやそんなことではないだろうと思い直したり、正直よく判りません。まさかとは思いますが、過去の書き込みにもしばしば登場する、マニアの方々の間に根強い「シェーン死亡説」と云うのがありますよね。「肩の傷は意外に重傷で、カムバック!の声を振り切って去って行ったシェーンはその後孤独のうちに死んでしまった、あのラストシーンにはそれが示唆されている」と云うアレです。もしもですよ、アレが日本だけで囁かれているものではないとして、更にイーストウッドがその説を支持していたとしたら、シェーンがゴーストとなって甦るのもアリと云うことになります。プリーチャーの背中にある無数の弾痕、あれが背中でなく肩だったら、更に1つだったらはっきりしたんですけど、やっぱり他の2作に見られるような明確な「もし」が見つからない以上、単なるリメイクと見るしかないんでしょうか。

ウエイン命|2010年4月 1日 (木) 07時44分

投稿: ウエイン命 | 2010年4月15日 (木) 18時39分

 最近DVDで見ましたが面白かったです。予備知識なしだったので、見終わってから、「なるほど、シェーンのリメークか」と気がつきました。この映画の作られた1985年といえば、懐かしい西部劇スターたちの多くが、すでに故人か最後期高齢者であって後継者もなく、西部劇がもはや終焉を迎えていたのですから、その年代にあえて「シェーン」を再映画化するというのは、イーストウッドにとっては、蒼ざめた馬の騎手を冥府から連れ戻すに等しい気分だったのでしょう。悪保安官のジョン・ラッセルとその仲間たちが皆で七人なのも、「荒野の七人」の陰画なのかも知れません。でも、さらに後年の「許されざる者」では、イーストウッドも気持ちが吹っ切れたらしく、神秘主義の要素は抜きですね。

 しかし、この作品にはシェーンから離れたそれ自身の面白さがありますね。主人公を慕うのを少女にしたことで、シェーンとは違って恋愛感情が絡んでくるし、悪徳ボスにいじめられている砂金採りの人々が、1,000ドルの立ち退き料を受け取るかどうか話し合った挙げ句、勇ましく断ることにしたものの、翌朝、蒼ざめた馬の神父が姿を消したのを知って動揺するあたりは、同情さるべき弱者の側にも依頼心やご都合主義があるのを見逃していないと思います。

 ベン・ジョンソンの役回りを受け持つのがリチャード・‘ジョーズ’・キールというのは、思いもよらない配役ですね。最初の馬は彼が乗った途端につぶれてしまい、もっと丈夫な馬に換えたそうですが、馬に乗ることが直ちに動物虐待になるのでは、キールは西部劇には向かないようです。

ピーター・ポッター [2009年1月18日 14時11分30秒]

投稿: ピーター・ポッター | 2010年4月15日 (木) 18時34分

「44-40」さんの2004年のご指摘により「荒野のストレンジャー」を見て「ペイルライダー」の従来すっきりしなかった部分まで解決しました。いやー、一つも二つも賢くなった感じです。「ぺイルライダー」は意味は分かっても理解しがたいタイトルでした。「プリーチャー」の登場シーンからしてちょっとミステリアスですよね。で、助けた男に誘われて砂金掘りの集落に着いた場面、「地獄に黄泉がつき従っていた」と云う聖書の朗読にイーストウッドの影が被ります。何故こんなおどろおどろしいことをするのかと思ってました。また「44-40」さんがおっしゃる「返歌」の意味もよく分かりました。イーストウッドにはもっと作って欲しかったと思います。興味のある方「荒野のストレンジャー」の欄をご覧ください。それにつけても「44-40」さんの「返歌」と云うご指摘は素晴らしいと思います。イーストウッドが益々好きになりました。

ウエイン命 [2006年8月25日 22時4分5秒]

投稿: ウエイン命 | 2010年4月15日 (木) 18時32分

Yamakawaさん(と云っても2002年の書き込みなので伝わらないと思いますが)、ラストで少女は「thank you preacher」とは云いましたが、声は小さくこだまはしなかったんです。私も「come back!」て云うんじゃないかとヒヤヒヤしましたが、 まさかそこまではネ。

そんなことは実はどうでもよくて、この映画は当時、「もう一生涯映画館で西部劇を見ることはないだろう」と嘆いていた私を、何かの間違いではないかと狂喜乱舞させてくれた忘れることの出来ない1本なんです。新聞広告でイーストウッドの被っているのがテンガロンハットだと確信した時の感激と来たら…。

ガラガラの映画館で双葉十三郎さんにお会いしました。「あ~、ジョン・ラッセルだ!」出てましたね。年取ってましたが長身にロングコート、きまってました。イーストウッドと彼の間に過去何かあったことは確かなんですが、それが結局最後まではっきりしない…なんてこともありますが、そんなことはこれまたどうでもイイことなんです。

ウエイン命 [2006年5月20日 9時19分34秒]

投稿: ウエイン命 | 2010年4月15日 (木) 18時30分

「荒野のストレンジャー」は「真昼の決闘」への、これは「シェーン」への返歌。

あんな町やあんな保安官なんてホントにはいやしない、あんな流れ者だって来るわけがない。そんなことはわかっているさ。でもね、それでもね…

そんなイーストウッドの西部劇への愛と覚醒が幻想的な映像美を生む。禁欲的な画面作りも、パーカッションピストルのリアルな時代考証も、80年代にウェスタンを成立させるために必要な道具立て。

西部劇の伝統と作法をどう護り、どう発展させればいいのか、ジャンルとたった一人で必死に戦っていたイーストウッドは、彼自身がその西部劇のヒーローのような緊張感をかもし出している。そしてその緊張感が、ややもするとばかばかしくなりかねないストリーを、ぎりぎりのところで救っている。

44-40 [2004年11月28日 21時4分32秒]

投稿: 44-40 | 2010年4月15日 (木) 18時28分

Cイーストウッドは何故しつこく2度も同じようなものを作ったのでしょうか。
これと「荒野のストレンジャー」と…

ビギナー [2003年4月30日 21時48分41秒]

投稿: ビギナー | 2010年4月15日 (木) 18時26分

BSで観ました。ラストの別れの場面で少女の声が山にこだまし,こみ上げてきました。
この場面どこかで観たような気がしますが、え~と、え~と・・・・

Yamakawa [2002年5月30日 22時27分53秒]

投稿: Yamakawa | 2010年4月15日 (木) 18時25分

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